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石川県能登町 【真脇遺跡縄文館】
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縄文時代の墓制

施設写真

板敷土壙墓は中期の住居址の近くから発見されました。時期も住居址とほぼ同じです。墓は全部で4つあり、それぞれの墓穴に板が敷かれていたことから「板敷土壙墓(いたじきどこうぼ)」と名づけられました。全国でも類例の無い、真脇遺跡だけで確認された形態のお墓です。

板敷土壙墓が発見された地層には凝灰岩質の粘土が一面に敷き詰められていました。中期前葉から中葉にかけて、真脇の人々は砂地だったこの土地を大々的に整地し、ムラの形を整えていたのです。この粘土は住居址の床に貼られていたものと同じ粘土です。

4つの土壙墓はそれぞれ東西南北の四方向に配置され、楕円形をした土壙の向きも南北あるいは東西に統一されていて非常に規格性が高いものです。また土壙自体が一般的なものよりも大きく丁寧に作られていて、この4つの墓が特別な人を埋葬した墓であったことが伺えます。

敷かれていた板はスギ材が主でしたがクリやアスナロも認められました。当時ノコギリやカンナも無かった時代に「板」を作るのは大変な作業であったと思われます。そのようなものを被葬者の亡骸の下に敷く、という行為からもこの墓がいかに特別だったかがわかります。

整地層との関連もふまえ、彼らはムラづくりのリーダーたちだったのではないかと考えられています。出土した板の年代分析から4つの墓のうち最も新しいものと最も古いものとの間には200年ほどの年代差があることもわかりました。4人のリーダーの下で、何世代かにわたってムラづくりが行われていたことの表れといえるでしょう。


4つの土壙墓のうち3号土壙墓と名づけられた土坑墓からは人骨も出土しました。人骨は手足を曲げた、いわゆる屈葬で埋葬されており、胸には赤色漆塗りのペンダントをつけていました。かなり腐食が進んでいてはっきりとした分析はできませんでしたが、壮年期(20代〜30代)の男性と考えられます。

さらにこの板敷き土壙墓のすぐ南から木柱の列が発見されました。この柱列は、居住域と土壙墓のある聖域を分ける意味を持っていたと考えられています。またこの木柱列の列の方向が冬至の日没の方向を指している可能性も指摘されています。

その他この土壙墓調査時の調査区からは、石棒や土偶、そして人形のペンダント、滑石製の耳飾や玉など日用品ではない特殊な遺物が出土しました。このことからもこの場所がムラの聖域であったことがわかります。


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